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2016.05.05 Thursday

懐かし!PHS黎明期のものを発掘。 パルディオ201P+ホームアンテナHA-1S

 こんばんは。

 先日車にETCを取付けました。高速で走るには不安な車なのですが、今月末に県外に研修に行くことになりました。宿泊先から研修施設への距離が一駅分位あるので、自家用車での移動以外に考えられません。とにかく前後の休みがあまり無いので、自宅からの行き帰りに高速道路を利用する為に付けたものです。

 越して来てから数年経ちますが、こちらの人の運転のペースには未だ馴染めません。安全運転とは程遠いですし、合流やらのルールも全く違います。もっと交通マナーが酷いところはあると聞きますが、それにしても怖い思いは度々します。

 そんな訳でETCの動作確認と、高速での走行の練習を兼ねて遠征してきました。ちょくちょく行く山形です。いつも電車だったので、車で行くのは今回初めてです。


 昔子供と行ったところとかを回って、何だか感傷に浸るような展開になってしまいましたが、主目的が分からなくなるのはいつものことです。それ以上に予想外だったのが、工作の素材を大量に仕入れてきたことです。給料日前でお金がない時に限って、出物が見つかるジンクスはいつになっても変わりません。


 相変わらずどうでもいい話で、申し訳ありません。そろそろ本題に。



 仕入れてきた幾つかの単体オーディオの修理は、帰宅してあっと言う間に終わりました。これは腕が上がったのではなく、目利き(勘?)が利いてチェックが甘くて安価なものが仕入れられただけです。良いものが手に入りました。

 ただ今日の目玉はこれです。

 


 目を疑いました。NTT personal…?パルディオ…?ホームアンテナ…?

 そう、昔お世話になったPHSです。大学を卒業して就職した時に、私は初めて購入しました。当時のCMのイメージと個性的な端末の豊富さで、最後までアステル派でした。妹がNTTパーソナルを使っていた記憶があります。でももう二十年以上前の話です。

 それが何故かほぼフルセットで、山形のとあるリサイクルショップのかごに投げ込んでありました。


 NTTパーソナル自体、もうとっくにサービスは終えています。持っていても使い道はほぼゼロ。ただこんな状態で出てくるのは最初で最後でしょう。おまけにホームアンテナまで付いています。私はアステルのホームアンテナを、自宅に二つ付けるというアホなことをしていました。何の意味もないことでしたが…。



 
 ほぼフル装備です。

 使用感も殆ど無く、二昔前のものとは思えません。ずっとしまいこんでいたのか、どことなく埃の匂いがある位です。ただまずいことに契約書やら解約書やらの、個人情報満載の書類まで一緒です!せめて処分してから店頭に並べて下さいよ!並べると言うより、ところ構わず置いているお店でしたが。



 ホームアンテナは、液晶部分が液漏れのような状態です。ただこっちも殆ど使っていないような状態です。参考にもなりませんが、お値段は店主も決めかねていて二つで千円にしてもらいました(おい)。


 因みにどちらも通電は問題ありません。ただ本体のバッテリーが使えるでしょうか?今気長に充電しています。





 何だか後ろ向きで懐古主義なのが気になります。昔を大事にしつつ、これからを充実させて…。なんて嘘です。ふと気が抜けると昔のことばかり思い出している毎日なので、こういう物に惹かれてしまうのです。『新しい思い出を作れ』とアドバイスしてくれる人はいますが、なかなか切り換えは出来ないものです。特に男は未練がましいものですから。



 そんなこんなで、ネタ企画の散財が『昔の思い出』シリーズになっているのでした。















 
2015.07.28 Tuesday

思い出シリーズ 第二回:「どうでもいい買い物の理由に、内需拡大は大げさ。」

 こんばんは。

 ダメダメな一日でした。気持ちの張りが無くなるとガタッときます。寝たきりへの一歩を実感して、背筋が凍る思いです。こうやって一歩一歩老いていくことに、心身共に備えて行くのでしょうか。

 こういう日は、とことんその気分に浸りきることしました。無駄にあがいても仕方ないとわかったのは、ここ一年以上の無為な時間からの数少ない収穫かも知れません。


 さて誰も見てないであろう「チラシの裏企画」でもあるこのシリーズ。前回も本当にどうでも良い内容でした。書かずにいられない衝動と気持ちの整理の為に、無料とは言えネット上のリソースのごく一部をもらうのは勿体ないです。匿名掲示板などで見えない相手と戦うよりは、まだ穏便で良いと思いたいです。それにしてもATOKの変換がおかしいです。誤変換だらけ、新しい辞書をインストールしてからのような気がします。


 題名を見ても何のことか?です。好きな食べ物は最後まで残す典型的なタイプの私は、欲しいものがあっても迷います。優柔不断な性格な上に、「もっと安いものがあるかも知れない」と欲が深いのです。ただ財布の事情ですぐに即断で押さえる行動にはなかなか出られません。

 学生時代、毎週末秋葉原に通った際もそうでした。土曜日の朝に店頭で見つけ、半日うろうろしながら悩んだあげく決断出来ず。帰宅して一晩考えてから決意して翌日行くと、既に売り切れていました。電気街でマイコン時代からの部品・ジャンク品の一点売りがそこかしこにあった時分の頃です。後々考えれば、その場で決断出来ないのならそれ程欲しいわけではなかったのかも知れません。そう言って時分を納得させようとする反面、『逃した魚は大きい』と言った諺も浮かびますが。


 何を思ったか経済学を掛け持ちで受講していた時期でもあり、バブルがはじけて経済が冷え込んでいた時期でした。輸出産業だけでなく、日本国民の需要も喚起するような経済政策が必要だと叫ばれていました。勿論今でもそうでしょうが、当時はまだバブル期の桁が狂った経済感覚がどこか残っていました。つまり分不相応な学生風情でも大きな買い物をしても許容されるような錯覚があったのも確かです、少なくとも私には。

 親には物心つく頃から「一晩悩んでも欲しいものは買った方がいい」と言われたことを、何故か頑なに信じていました。忠実に従ってチャンスを逸すること数回。自分の買い物をする際に後押しをしてくれる動機が欲しかったのです。今ならネットなどで相場を調べた上で、巡回コースで見てきた経験などから判断するようにしていますが、当時はそんなことは出来ませんでした。


 そこで苦し紛れに編み出したのが下記です。

 ※『ここで買い物をすることで内需の拡大にもなる』→『ひいては日本経済に貢献している』→『だから買うべきである』

 …というロジックです。はぁ〜…。我ながら溜息が出ますね。


 ご覧の通り三段論法にもなっていませんが、当の本人は大まじめでした。何せ一緒に行った友人にも私のチョイスするものの価値を理解してもらえず、自分で決める以外になかったのです。今と違って、もしいらなくなったら転売出来る算段も立てられていたら大分違ったとは思うのですが。


 そうやって色々なものを無駄に買っては、半数は活用して半数は壊してしまいました。まだネットオークションで転売して循環させるということは出来なかった時代です。その結果が前回お話しした通り、NECに散々貢いだPC-9801シリーズ一式を粗大ゴミに出してしまう結果になりました。あとでその価値を知り愕然としたものです。


 『金は天下の回りもの』と言いますね。資本主義経済では、ものの対価に見合ったお金が支払われることで、世の中の流通に乗って循環しているわけです。その結果の一部が人々の収入になって再配分されているのですから、それをタンス預金に溜め込んでいてはダメだ!そんなことを経済学の教授から言われたような言われなかったような曖昧な記憶があります。何せ今は昔なので定かではありませんが、至極まっとうな見解ですので曖昧ながら記憶しているわけです。


 ただ今のアベノミクスは富の再配分という点では、以前よりずっと不公平な印象ではあります。元々富裕層だったり運用出来るまとまった資金がある一握りの人達には好ましいのでしょうが、二十年も低成長時代が続き”総中流”なんて夢はとおに消え失せ、目に見える格差が広がる一方です。私自身は大学を卒業して、当時の悪い先駆けで受験の条件が低いところに割って入り、そこで資格を取り今に至ります。同期の友人などは一般企業でいい地位まで上り詰めた者や起業して軌道に乗っている者など、多種多様です。選択自体は間違っていなかったと思っていますが、一見どうでも良い買い物に大げさな理由をかこつけていたことを思うと、社会の実際はより厳しいものでした。それからしばらくして、その理由は自然と使わないことにしました。


 今は明るい材料、特に個人の老後に対しての公的な年金への信頼が著しく落ちています。情報流失もさることながら、滞納・未納が多いのが当たり前なのは先々のことに希望が持てないからではないかと思います。私は職業上医療保険制度から給料をいただいているので、何としてでも年金や社会保険料は払っていますが、時々保険証が無かったりする人や生活保護で医療が無料な人を見ると、弱者救済の建前は当然としてもどこか釈然としないところがあるのも確かです。

 私の就いている医療現場自体が、社会の中では補給兵站部門のような所に当たりますから、実際何か生産しているわけではありません。いつぞやかそのことを心なくなじられたことがありましたが、人間休まずに働き続けることは不可能です。『労働力の再生産』は軽んじられることもありますが、疲労を回復させて翌日の労働に備える・ひいては子孫を設けて次世代の労働力として育てていく。人間の歴史の繰り返す部分の根幹の一つです。その中で病気にかかる人もいるわけです。そうした人を社会復帰に導くのが私が就いている仕事の第一義だと信じています。
 
 ただ経験的なことからの意見ですが、大病にかかったことがない健康に自信のある人だとこういう意見には否定的なことが多く感じます。「自己管理がなっていない」「病は気からだ」などと仰る場面に何度も遭っています。一面から見ればそれは間違ってはいないと思います。ただ一時的に病みつかれた人が立ち寄れる場所の存在意義って何か?時に悩みます。上記の心身が頑健な方に限って、高齢になってから初めて入院などを経験するとかなり戸惑うようです。ご自身がそうなるまで、そういった境遇にいる(いた)人への共感が無かったからではないかと思います。経済だけでなく心身の健康においても、強者と弱者が厳然として存在するのです。


 
 
 大分話は逸れましたが、「チラ裏企画」なのでご勘弁を。


 とってつけたような結論になりますが、まとめとして…。

◎個人レベルの買い物で付け焼き刃の経済学を援用するのはどう見ても無理。本当に景気回復に貢献したければ、せめて新品を買うべきだろう。

◎技術立国であった日本において、それらに直接携わる職業以外への目に見えない差別をたまに意識します。つまり後方支援と言うか縁の下の力持ちの分野に当たる業界が、今や就職難で志願者が増えたというのは皮肉にしか思えません。高齢化社会は着実に進んでいるのです。




 本当にどうでも良い内容ですが、買い物以外に日本社会の仕組みの一端を担うことが、今の私なりの内需拡大への貢献のつもりです。





 今日はこんなところで…。

















2015.06.24 Wednesday

思い出シリーズ 第一回:「NECには相当貢いだけど、勿論後悔はある。」

 こんばんは。

 時に、このまま静かなままどうにかなってしまうのでは?と思う今日この頃です。 充実感の欠如とかではなく、語弊を恐れずに言えば「生かされている感じ」がします。他人の死を沢山見てきた分、そう思うようにしていましたが、最近はそんな立派なことも言っている余裕もありません。


 昔の思い出が走馬燈のように、昼夜問わず駆け巡ります。勿論一瞬上の空。これはちょっと良くありませんが、どうにもなりません。出口の見えない悔悟の日々を歩んでいるのかも知れません。



 そんな中で、本当にどうでもいい話をこれまた適当なくくりで書き散らしていきます。文字に残せば、また忘れても思い出せるかも知れません。そんなこんなで画像はほぼ無いと思います。長文駄文ですので、興味半分冷やかし半分でどうぞ。



 時は八十年代終わり、バブル最盛期でした。高校生だった私は、親に合格祝いで買ってもらったパソコンに浮かれていました。思えば親も大枚はたいてくれました。忘れもしない、本体298000円、後にも先にもこんなに高かったのは初めてです。不思議とディスプレイの記憶は薄く、一番安いもので50000円位だったように覚えています。

 NECのPC-9801シリーズ、あの当時の一番無難で大人の理解が得やすい機種でした。


 国内のパソコン市場は群雄割拠状態でしたが、テキストの高速表示と互換性の高さ・ソフトの多さから、NECのそれは一番長く使えたのは確かでした。面白みは少ないハードでしたが、スペックの細かい違いで優劣を競っていた中で曲がりなりにも生き残っていたのは、ハード・ソフト共に下位互換性が保たれていたことだったと思います。

 "640KB以上・VM以降・XA/LT除く"、この文字が頭に残っていました。ノーマルモードというNECの独自規格で、何だかんだ十年近くは戦えていたのですから。日本語環境というローカルなものと、MS-DOSが扱えるRAMの容量の壁に守られていた面もありました。ただスペック上の性能の割に割高感はあっても、周辺機器や情報の量が他の機種とは段違いではありました。その意味で初心者にも敷居は低めで、且つ安心感がありました。


 当時からスペックの上限を満たすことで、変な満足感を得ていた私は無駄に投資をしたものです。値段で決めた80286搭載のそれは、中途半端に期待を持たせてくれるものでした。

 OSがWindowsになり、徐々に機種固有の枠が外されてきた後、CPUで動作のモードが限定されてからは、DOS/V機の参入も重なって次第に先細りになってきました。速い8086としての存在意義が無くなってしまいました。

 それでも無駄にメモリーを上限の12Mまで積み、それらをEMSで認識させてRAMディスクにしたりしましたが、完全に自己満足の世界でした。今や死語になったフレームバッファを積んで、フルカラー表示を出来るようにはしましたが、対応ソフトがないという落ちが付きました。80287も積みましたが、恐らく一度もその本来の仕事はしなかったと思います。空いているソケットを埋めただけでした。



 それにしても何故NECはかなり長い間V30を積んでいたのか?今でも謎です。CPUが二個載っているのですが、勿論どちらか片方しか使えないのです。豪華というか無駄というか、良くわからないあの頃にもそう思っていました。

 V30モードという「互換性を維持する為」と言われながらも、その遅さに使ったことも数回。そもそもV30でないと動かないソフトやハードにお目にかかりませんでした。当時も8086の互換CPUだったそれの在庫処分では?と言われてはいましたが、真相は未だ分かりません。


 綺麗なままで多額の費用と多大な手間をかけたそのパソコンは、二十一世紀に入ってまもなく引っ越しの邪魔になる為、粗大ゴミで捨ててしまいました。ちゃんと動く状態でした。当時は今と違って簡単にゴミに出せた時代でした。


 ただ思い返すと、勿体ないことをしたものです。



 それからは決してNECのパソコンは買いません。もう十分貢いだからです。そのNECもLenovoと合弁したりと、時代の移り変わりが激しすぎます。遠い過去と見えない未来が混同してきます。







 本当にどうでもいい話ですが、今日はこんなところで。
















 



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